旧名「果て」

作詞:村野 直球
作曲:住吉 中
編曲:牧野 信博

  • 初聞き

2001年 9月 9日 「The place of happiness」発売記念イベント@TBホール

  • これまで

25回聞きました。

  • 振り返って

3rdシングル曲です。 発売は8月でしたがゲーム「GENERATION OF CHAOS」主題歌となったために5月の段階で「1番」だけはできていました。 このときは仮タイトルとして「果て」がつけられていたそうです。
その後「2番」以降の制作に入って、できあがったときにはタイトルがこれに変わりました。
8月から連続してリリースイベント、ゲーム発売イベント、学園祭などなどがあり毎週のようにあちこちへと出かけていた奈々ちゃん。 この曲からファンとして「正式」に動き出しましたが、CD発売イベントはすでに整理券が捌けていたりして都内への参加は断念しましたけども、それ以降の遠征は多少のムリも乗り越えて行ったものです。
10月の「イベントのおじかんin米沢」は前の方に座れて、すぐ目の前で歌っている奈々ちゃんが見れましたね。 翌週の東京ゲームショウ、翌々週の稚内北星学園大学学園祭も前の方で・・・
11月には大阪南港、12月はクリスマスライヴ新居浜イベント。 新居浜ではコミケの前日なのにあちこちからたくさん集まったものでしたね、夜行列車、当日の飛行機、新幹線→「しおかぜ」といろいろなルートから何もない街、新居浜へヒトがたくさん・・・このときはお姫さまぽい衣装で頭の上にはティアラがありましたね。
翌年は会津大学学園祭まで歌われる機会がなかったですね、このときには奈々ちゃんがオリジナルなフリで歌っていました。 もちろん初のライヴツアー「LIVE ATTRACTION」でも歌われました。
翌年の「LIVE SENSATION」では「Zepp Side」と「Hall Side」で歌われる順番が異なりました。 「Zepp Side」ではアンコールの位置、仙台会場では指を観客に向けるフリがあったので、札幌会場では最前ということもあり、この曲のときにダンサーに向けて指差したのでした。(奈々ちゃんではないのが・・・) すると、ステージ中ほどで踊っていたはっくんがこちらまでやってきて、すぐ目の前で同じようにやってくれるではありませんか。 このときからモードS(何)へ、大阪会場では左翼で同じ行動をしたのですが、ほっくんは反応が薄かったです・・・
次の若い番号であった福岡会場でも必死に最前を目指し、同じ行動を起こす。 ここでもはっくんは同じように返してくれて、その夜はウマイ酒が飲めました(爆
「Hall Side」は座席指定なのでこれまで同様な行動は起こせませんでした。
そして昨年の「LIVE SPARK」でも同様なことが起きると考えて必死になるも歌われず。 FCイベントと武道館で歌われたのは正直オドロキでした。
CDでは前奏がほとんどなく、すぐに前サビに入りますがライヴですとタイミングをとるために前奏が入りますね。